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 コラム 第129回      2015. 3. 27

 あの日から20年 

  ようやく春めいてまいりました。どんなに厳しい冬でも季節は確実にめぐって、芽吹きの季節になります。 春の訪れは、すべてが新しく塗り替えられるようで、気分が高揚してきます。 東京では桜の開花も始まり、この時期に卒業と入学があることは、日本にはとても合っていると思います。 ただ、三寒四温というように、日によっては真冬のように寒い日がありますので、くれぐれも体調管理にはお気を付け下さい。

   20年前の3月20日は、娘の小学校の卒業式の日でした。 家内は式に出席するために朝早くから出かけて、私一人いつもの時刻に家を出ました。 駅までの途中、着物の着付けから帰ってきた家内と出会い、しばし立ち話をして駅に向かいました。 駅に着くといつも乗る電車がちょうど発車して乗り遅れてしまい、次の快速は通過で2台あとの電車に乗ることになってしまいました。 今日は遅刻かと思いながら、茅場町駅で日比谷線に乗り換えようとすると、構内放送で「築地駅で爆発事故があったようで、 現在運転を見合わせています。」との事でした。 爆発事故ならしばらくは動かないだろうと、踵を返して再び東西線で日本橋に向かい、銀座線に乗り換えて銀座で降りました。

  地上に出ると見たことのない大型トラックの救急車がけたたましいサイレンを鳴らしながら、築地方面に向かっていくところでした。 診療室に着くと、サイレンのあまりの多さに何事かと、先に着いていた父が窓から外を見ておりました。 暫らくすると、当時勤務していた衛生士が、八丁堀の駅で何人も倒れている人がいて、そこから逃げるように歩いてここまで来ましたと泣きながら入ってきました。 これはただならぬ事態だと、その日予約の患者さんに無理しておいでにならないようにと連絡をしたのを覚えています。

  後にそれが無差別テロの地下鉄サリン事件だと分かり、震撼しました。 サリンの撒かれた電車は、築地駅で停車、後続は八丁堀、茅場町駅にそれぞれ停車していて、 あの時道で家内と出会わずにいつもの電車に乗っていたら、間違いなくサリンの充満した車両に乗っていたと思うと恐ろしくなりました。 病院に行くほどではありませんでしたが、八丁堀で電車を降りた衛生士と私も、晴れた日でもしばらくの間は視野が暗く感じていました。

  一生忘れることのないあの事件からもう20年が経ったのですね。 改めまして、犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、今も後遺症で苦しんでいらっしゃる皆様にお見舞いを申し上げます。


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