ホームへ > 院長のコラム最新号へ

 コラム・バックナンバー・インデックス

 コラム 第92回      2012. 2. 27

初代院長のお話

 2月4日、片山歯科医院の初代院長 片山博が、91年の生涯を閉じました。 今回のコラムに書くことを迷いましたが、このことを書かせて頂く事にしました。

 今年の冬は例年と比べて寒さが厳しく、群馬県の榛名に住む父にも一人暮らしは無理がありました。 お正月に家族で過ごしたときには元気にしておりましたが、1月中旬に体調を崩し、 兄の治療を受けながら東京の私の家で過ごしておりました。
 徐々に回復して、4月1日に予定している母の三回忌の法要で菩提寺のある金沢に行く計画に向けて、 気力を充実させた日々を楽しんでおりました。
 父は、香川県観音寺出身で、旧三豊中学(現県立観音寺第一高等学校)の教育者の三男で、 早くに母をなくし厳格な父の男手で育てられた、とても厳しい父親でした。
 東京高等歯科医学校(現東京医科歯科大学)を卒業後、時代の流れで海軍歯科医科士官となりました。 インド洋の孤島アンダマンで終戦を迎え、イギリス軍の捕虜となり、終戦から一年後に復員しました。 母校に戻りしばらくは大学で助手をしておりましたが、そこで臨床講師の原田良種先生と出会い大学を退職し、 その先生のところで研修をさせて頂く事となりました。

 同じ頃知人の紹介で、GHQの医務室に歯科医として勤務していた母と結婚し、暫らくして兄と私の生まれ育った、 目黒区洗足で居を構え歯科医院を開院しました。 戦争には負けたが歯科医としては負けていない、というのが父の口癖でした。
 そんな思いから、1962年、まだ海外渡航が自由にできない時期に、同郷の先輩で後に総理大臣になられた大平正芳氏に保証人を引き受けて頂き、 世界の歯科事情の視察に母と一緒に出かけていきました。 兄小5、私小3の夏に2ヶ月間も診療所を休診にして出かけていったのには、よほどの覚悟であったと思います。

 日本の中心で世界に誇れる診療所を開きたいとの思いが通じたのか、やはり同郷の先輩が銀座にビルを建てる事になり、 そのビルの最も条件のよい一角を父のために空けてくれる事になりました。 その場所が現在も私が2代目として診療を続けている南海東京ビル8階の片山歯科医院です。
 父が思いの全てを注ぎ込んだ診療所は、今年の1月29日で丁度45年の節目を迎えました。
亡くなる一週間前のことでしたが、父を中心に兄と家内と私とで当時のことを思い出しながら、 我が家でささやかなお祝いをしました。

 南海東京ビルは、昨年の大震災の時もびくともせず、動くよりここにいたほうが安心と、スタッフと一緒に一晩過ごしました。 今使っている器材は殆んどが新しいものに変わっていますが、レイアウトは開院当時のままです。 そして父から引き継いだ精神は、私は勿論、今のスタッフにも確実に引き継がれていると思います。
 私どもは、初代の思いを尊重し今後も腰をすえてしっかりと、皆様の口腔の健康管理のお手伝いをさせていただく決意を新たにしています。


2月の歌舞伎座 (2012/2/24)

このページの上へ↑

Copyright(c) 2004-2019 Katayama-shika. All rights reserved.